テキスト ボックス: 宝巖寺住職 小野泰昭氏

 宝厳寺 山門

宝厳寺 本堂

丹後

 国重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている

与謝野町加悦伝統的建造物群保存地区は「ちりめん街道」とも呼ばれ、

その特徴の一つに、寺社が集まった寺町さながらの風景をあげることができます。

その中にある宝巌寺(ほうがんじ)は、山号を西荘山(せいそうさん)といい、

ちりめん街道の最も南に位置する寺院です。

知恩院の末寺で浄土宗に属し、開基は慶長4年(1599)と伝えられています。

(関ヶ原の戦いは1600年、江戸幕府は1603年、明治元年は1868年。)
その景観は、石段を上がった山腹に寺地を構え、正面に楼門形式の山門(さんもん)、

その奥に本堂が直線的に位置しています。本堂に向かって左に庫裏(くり)、

右に鐘楼(しょうろう)があります。
 現在の本堂は、入母屋(いりもや)造りで、軒唐破風(のきからはふ)を付した

向拝(こうはい)を設け、前面に高欄(こうらん)付きの縁を備えています。

文政13年(1830)に再建されたもので、大工は冨田儀兵衛などが務めました。

冨田姓の大工は、当地域で数多くの社寺建築に携わっています。
その本尊の阿弥陀三尊像は、宝暦年間(
175164)に寄進されたもので、

中央の阿弥陀如来立像を尾藤家が、また両脇仏のうち、観音菩薩立像を住職が、

勢至菩薩立像をお手伝いさん達で作る「お講」がそれぞれ寄進されたと言われています。
 また、本尊裏手に安置されている与謝野町指定文化財の阿弥陀如来坐像は、

南北朝期の作とされ、明和5年(1768)に角屋彦四郎(下村家)が寄進されたものと

言われています。
 現在の山門は、一間一戸の楼門形式の入母屋造りで、文化
15年(1818)に

再建されたもので、大工の棟梁は冨田清兵衛が務めました。

山門は与謝野町指定文化財となっています。
 ちりめん街道の景観の一端を担っている宝巌寺の現在の景観は、

今から192180年前にかけて形成され、時を越えて現在に伝わっていることがわかります。

  与謝野町教育委員会